【なぜB.M.S.? それは私のロマンです。この業界への愛です】
BMSを立ち上げることになったモデルはペガサスクラブ
それは、
今日の流通業・飲食業の近代化、産業化に貢献してきた研
戦後、百貨店を除いた小売店の実情は生業としての零細店
そうした商店主へ『チェーンストア経営』というアメリカ
“チェーンストア”の正式名称は“チェーンストア インダストリー”です。
インダストリーとは産業という意味です。
チェーンストアと言うと多店舗展開の金太郎飴のような店
しかし、本来の意味は『チェーンによる産業化』であって
渥美俊一先生というメンターに直接教えていただいた講義
私は改善・改革そして経営の何たるかを学び、実践の先頭
その時の体験こそが、流通コンサルタントとしてのスキル
同時期に学んだ人はニトリの会長等、今日の流通の蒼々た
このペガサスクラブで最初に教えてもらったのはペガサス
難解だったチェーンストア用語の丸暗記に苦労したことを
“経営は作業で成り立っている”
ということ、そして分業の大切さを現場で身につけさせて
そして次に幹部時代に“経営は科学ある”というチェーン
モノゴトを定性的に捉えるのではなく定量的に捉える。
それもしっかりとした評価メジャーに照らし合わせ、自社
当時の参加者は、それぞれの業界によって「評価メジャー
しかし渥美先生はそうした考えを全面的に否定し、有無も
他産業のトップレベルの評価メジャー数値を目標としたの
当時の流通は、他の産業に比較し低い生産性が当たり前の
自動車産業や電気産業の工業の経営指標と比べたら明らか
しかし渥美先生はこの産業化の経営指標を評価メジャーに
ある指標においては、無理と思えるモノもありましたが、
「不可能はない、あるのはそれを出来ないと思って諦めて
「アメリカに学べ。我流はダメだ」
「偏差値じゃないんだ。学び実行する、そして諦めないで
ペガサスクラブに参加した多くの企業がその言葉によって
それをここで一つの例えで説明します。
高校入試のテスト勉強で、合格する手っ取り早い方法は、
苦手科目はちょっと勉強するだけで、30点は40点に上
入学試験は総合点ですから、どこで10点あげてもいいわ
経営もそれと同じです。
最も評価メジャーが悪いものを真っ先に改善する方が結果
そのためにも定性的ではなく定量的に、そして対比する理
すべてのアクションは、数字の裏付けが無くてはなりませ
「なぜ」「なにを」「どれくらい」そのために「どうやっ
・ なぜ・・・・評価メジャーを元に問題を把握
・ なにを・・・注力する優先順位を決める
・ どのくらい・明確な目標を設定する
そして、その目標を達成するために方策を講じるのです。
売上をあげたいから広告を打ち、客を集めたいから値段を
それによって一時的に売上が少しばかり上がっても販促費
さらに新規を追うがあまり既存客を軽視し、失ってはいけ
どうしてそうなるかと言えば、それは活動に数字的な根拠
モノゴトを定性的(感覚)で捉える癖が身についているの
経営は科学です。
経営はすべて証明できるモノであり定量的(数字)に置き
社会で通用する評価メジャーによって自店の問題点を把握
問題は決して一つとは限りません。多くのファクト(要因
そのために多様な評価メジャーが存在し、その評価メジャ
こうした渥美先生の指導に素直に従い、それを継続してき
そして、結果的に今日私たちの生活を豊かにするチェーン
美容サロン業界は、他の産業と比較しあまりにも高すぎる
「労働集約型産業だから」、そう思い込んでいませんか。
50%、60%は当たり前と思うのは、この労働分配率の
それゆえに改善努力がなされず、常に求人に窮してしまう
労働分配率のベスト数字は38%です。
この数字からも、いかに美容サロンの労働分配率の異常な
そして、この問題には、もう一つの課題があります。
それは単に現状の人時生産性で労働分配率を下げれば、最
労働分配率を下げても、いまよりも多くの報酬を支払う。
それは人時生産性を高めていくということです。人時生産
「それは無理だよ」と思って諦めしまうのではなく「どう
考えるからおかしくなるのです。人類の経験法則に学ぶの
首都圏の一般のアルバイトの時給は平均で1,000円を
不足する労働力そして、働き方改革の名の下に政府主導で
そうした時代になっても人気の職種であり続けるためには
要は何を前提に仕事に取り組むかです。
仮に時給2,000円以上払えたら美容師がいま以上に人
業界全体が時給2,000円以上にならなかったとしても
ハナから無理と考えず出来る方法を学ぶ。
それが経営です。
私がB.M.S.を立ち上げる理由は、師と仰ぐ渥美俊一
BMSという研究団体は、単に自店繁盛のノウハウやハウ
渥美俊一先生が、語り続けた真に社会に貢献する企業とあ
『国民大衆の暮らし向上』という壮大な使命を担い、この
一店舗からスタートして、数兆円企業となり海外にまで数
起業して14年、この8月で私は還暦を迎えます。
46歳のときに理美容サロン業界へ参入と決断で来たのは
しかし教えを信じてがむしゃらに働いたことでFCやライ
それができたのは先達者達と今日まで私を支えてくれた幹
多くの人は、戯れ言と揶揄するかも知れません。
しかし、私は真剣です。
趣旨に興味、賛同され参加下さる方と共にここに記したビ
どうか、こんなGG橋本ですが、よろしくお願いします。